大学、社会人を経てプロ野球の選手となった和田一浩さん。30歳でレギュラーに定着後は、首位打者や最高殊勲選手に輝くなど、遅咲きの強打者として長きに渡って活躍した。2015年には42歳11箇月と史上最年長での2000本安打を達成している。引退後は、野球解説者として活動する傍ら、講演会やイベントにも積極的に参加し、野球の普及に尽力している。そんな和田さんに現役時代を振り返ってもらった。
長い現役の時代、試練だったことは?
試練というか、常に心がけていたのは、自分の身体がどんな状態なのかを把握したり、試合に出続けられるような節制や鍛錬をしたり……といった積み重ねを絶やさないことで、そこには神経を遣いました。普通なら休んで治療に専念するような怪我でも、自分から限界を作ったことはありません。たとえ骨が折れていても、何とかプレーが可能なら、痛みくらい我慢出来ますから、試合には出たい。そこはプロ野球の選手ですから(笑)。
とはいえ、足を折った時は、走ることさえままならない有様。それでも試合には出たいから、足が遅くても大丈夫かと、監督に掛け合って、試合は休みませんでした。まあ、打ったら打ったで次の塁に走らないといけないし、守っているところに打球が飛んでくれば走って追いかけなければいけない。それでもチームに貢献出来るという自信というか、何としても貢献しようという覚悟はありました。でも、今の時代ならコンプライアンス的に厳しいでしょうね。
試合に出ることに拘った理由は?
休んでいると誰かにレギュラーを奪われることは多々ありますが、自分としてはそんな不安はあまりなかったんです。それよりも現役で選手として頑張れる時間を無駄にしたくないという思いがありました。今だと年間に143試合、そして引退までおよそ何年くらいあるか──それを計算したら、生涯での残り試合数がわかりますよね。頑張れば試合に出られるのに、安易に休んだら、休んだだけそれを無駄にしてしまうんです。休むのが怖いというより勿体ない。勿体ないことをしたら引退してから必ず後悔します。怪我を押して、試合に出れば、自分の納得するプレーは出来ないかもしれないし、怪我が長引くかもしれません。それでも後悔するくらいなら失敗を恐れずに前に進もうということです。
怪我など大変な時を乗り越えるために心がけていたことは?
嬉しいことに打者・和田一浩はチャンスに強かったと、皆さんがいってくださるんですが、正直をいうと、私はメンタルが強いほうではありません(笑)。だから、自分に暗示をかけていました。不振の時期が続くと、どうしても弱気になりがちですが、そんな時は「俺は絶対にやれるぞ」ってね。19年間の現役の間、自信満々でいられたことなんてありませんでした。試合前は、今日は安打を打てるかな、しっかり守れるかなと、不安で仕方がない。だから、自分に暗示をかけて、そんな心の中が外に出ないように意識していました。
そして、逃げ道は作らない。冒頭でお話しした試合を休まないことも、逃げ道を作りたくなかったからです。今、思い返してみると、逃げ道を作らなければ、前に進むという選択肢しかないから、そうやって自分を奮い立たせて、暗示にかけていたのかもしれません。
大きな怪我は引退の前年?
2014年の夏、死球で右手を骨折して、流石にこの時は試合を休みました。とはいえ、怪我した右手以外は元気ですから、早く復帰したい一心で、普段以上に走り込んだんです。そうしたら膝が痛くなってきて、これはおかしいということで検査したら、半月板と軟骨の損傷。3人の医師に診てもらい、2人の先生は、年齢的に手術は厳しいので、保存で回復を待とうという診断。そして、最後に診てくれた先生は、手術を提案してくれました。自分としてはまだ現役を続けるつもりでいたので、痛みを抱えたままでプレーしたくないと思い、手術を受ける決断をしたんです。半月板を全部切って、崩れた軟骨を取り出して、棚障害という関節がスムーズに曲がらない状態も見つかったので、そこも綺麗にして……実際に内視鏡で膝の中を見たら、走り込み過ぎが原因とは思えないくらいの重症でした。
とはいえ、手術が済んだら終わりではありません。落ちた足の筋肉を取り戻すために、トレーニングが必要ですが、大変な手術だったので、腫れがなかなか引かず、水がずっと溜まっていました。トレーニングの負荷を上げれば痛みが出るし、水が溜まります。でも、一般の方のリハビリではありませんから、それなりに強度を上げないといけない。思うように鍛えられないという葛藤がありました。でも、普通に練習に参加出来るようになるまで、球団はしっかりと体制を整えてくれて、専門のスタッフがついてくれて、そこは恵まれていたと思います。
何が一番つらかったかといえば……。マスコミには手術したことを発表していなかったんです。そんな中でキャンプが始まったから、取材のカメラの前で飛んだり走ったり……痛くない演技をしました。あれは怪我をしていて試合中に我慢するより大変でしたよ。今考えたら、正直に怪我をして手術したと公表して、のんびりやったほうがよかったかな(笑)。
引退を決めた理由は。
直接の理由としては球団から来季は契約しないといわれてしまったこと。自分の中ではレギュラーではなくなったら引退かなと思っていました。少し格好つけていわせてもらうと、引き際の美学。最後の最後まで現役で頑張ろうとする選手もいれば、自分なりの辞め時がある選手もいます。でも、私は古い人間なのかもしれませんね。それに地元の球団であるドラゴンズのユニフォームは子供の頃からの憧れでした。FAで夢を実現したから、最後もドラゴンズの和田一浩で終わりたいという気持ちがありました。
野球をやっていて一番嬉しかったことは?
引退を発表した時、たくさんのファンからまだ早いといってもらえたのを覚えています。それは野球選手としてのひとつの評価なので、とても嬉しかったです。プロ野球を見て育って、プロ野球選手に憧れて、夢をもらい、その夢を実現出来ました。幸運な人生だったと思います。だから、出会った方から子供の頃、ファンでしたとか、あの試合のプレーで興奮しましたなんて、声をかけていただくと、本当にプロ野球選手になってよかった、幸せだったと実感しますね。
読者にメッセージをお願いします。
怪我や病気の時は、どうしてもマイナスに考えてしまいますよね。私も、何度も怪我はしてきましたから、よくわかります。でも、怪我や病気でつらい時だって大切な人生の一部だということを忘れないで欲しい。それなのに痛みや苦しみだけで心の中を一杯にするなんて勿体ないと思いませんか。今を乗り越えたその先のことを考えましょう。私が怪我をしても休まなかったように、どうか皆さんも前向きでいることで、人生という試合に出場し続けてください。
また、怪我や病気で休んでいる自分を責めるんじゃなくて、どこかで認めてあげて欲しい。私は、試合前はいつも不安でしたが、怪我で休んでいる時は、あまりネガティブな気持ちになりませんでした。だって、それは一生懸命にやった結果であってどうしようもないこと。それなら頭の中を切り替えて、しっかり休んで、きちんと治すしかありません。自分で選んだ結果なら後悔はないですしね。それに悪いことばかりじゃないかもしれない。きちんと治せば、前より強くなっているかもしれないし、怪我をしないような加減というか、知識だって身についているかもしれません。
取材・ゲスト:
元プロ野球選手 和田一浩